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雲室随筆
石七蔵といふ人あり、後章三郎と改名、亨字子亨、後又名お永貞と改、此人幼少より、予〈○僧雲室〉と友たり、〈○中略〉子亨、異母の兄二人あり、父は本官人にてやありけん、二人の子は、与力お勤たりといふ、然に此二人、性質無頼にて、予が心易せし時分は、二人其与力の家お滅せし也、又其家名お他へ売譲し也、日夜博奕のみ事とし、不善せざる事なしと雲、一人は歌舞妓芝居のものとなり、放埒かぎりなかりき、子亨は幼少より書お読事お好みて出精せり、予も常に厚く交れり、扠此人の孝順なる事、感ずるに堪たり、一人の無頼の兄佐太郎といひしが、惡行増長して、其上瘡毒お疾む、寄所なき儘、父のもとへ来り、段々病気重り、腰もたゝず、目も盲せんとす、子亨此者に事て、一も意にそむく事なく、二便の不浄迄も取りて、父母に事と、更にかはる事なし、段々病気重り、其翌年に死せり、子亨心お尽し厚葬けり、其後父も逝けり、子亨書籍文具おこと〴〵く粥て、心お尽し葬れり、其後は母に事て、少年に素読お指南し、其日お送りける、〈○中略〉又其節一人の無頼の兄喜八と雲し、段々放埒不善、博奕打はたし、時々困窮の子亨方へ、無心ねだりに来けり、子亨なき中より、心一はいに何度も物お遣りけり、其後此無頼瘡毒にて、目も盲、腰もぬけて、子亨の方へ来けり、子亨引取介保せし事、二年程なりしが、其中一つも其無頼の意に違ふ事なく、二便の不浄まで取て、父に事ふ如にせり、人の性の善なる、さばかりの無頼無法のものなれ共、其順孝に感じ、死期近くなりし時、手お合て涙お流し、子亨に謝せり、子亨も共に落涙しけり、段々病気重り終に死せり、子亨又又心お尽し取しまひ、厚く葬りけり、

C 不悌