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椿葉記
じゆこう〈○足利義満〉は、きた山にさんさうおたて、〈○中略〉若公、梶井門跡へ入室ありしお、とりかへし申され、愛子にて、いとはなやかにもてなされしほどに、〈○中略〉だいりにてげんぶくして、義嗣と名のらる、しんわう御げんぶくの准拠なるよしきこえし、御このかみおもおしのけぬべく、世にはとかく申あひしほどに、〈○中略〉じゆこう薨じ給ふ、〈鹿苑院と申〉世中は火お消たるやうにて、御あとつきも、申おかるゝむねもなし、此若公にてやと、さたありしほどに、管領勘解由小路左衛門督入道、おしはからひ申て、嫡子大樹相続せらる、其後内大臣までなられて、出家せられき、此若公は昇進だいなごんまでなられしに、野心のくはだてやありけん、露顕して遁世し給お、たづねいだされて、林光院といふ寺におしこめて、ついにうたれ給にき、