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孝義錄
六/武蔵
貞節者そめ
江戸小石川伝通院の前白壁町といふ所に、仮家してすめる孫七といふものあり、大工の業おなしてありしが、四年前より黴瘡おやみて、耳遠く足さへかなはず、家の業もなりがたく、貧しくのみなりゆけるお、その妻そめといへるもの、心まめやかに正しく、朝とく起て食おとゝのへ、仏にそなふる櫁の葉と抹香とおうり、よな〳〵のりすり置て、あくる日人の衣のあらひはりする家にもて行、かすかなるすぎはひなれど、程にすぎたる利おむさぼらず、〈○中略〉夫の病愈すべきため、上野の国草津の湯にまかるべき路用もいとなみいでゝ、去々年の比、湯治させ、長き病のいとひなく、朝夕に貞節お尽し、月々に家かりたる賃銭、とゞこほりなくおさめけりがゝる奇特のふるまひども、おほやけに聞えしかば、完政八年五月、町奉行小田切土佐守より、私に褒美して銭多くとらせけり、