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源平盛衰記
十九
文覚発心附東帰節女事
文覚道心の起お尋れば、女故也けり、文覚がために、内戚の姨母一人あり、其昔事の縁に付て、奥州衣川に有けるが、帰上て故郷に住、一家の者ども衣川殿と雲、〈○中略〉娘一人あり、名おばあとまとぞ雲ける、去共衣川の子なればとて、異名には袈裟と呼、〈○中略〉並の里に源左衛門尉渡とて、一門也けるが、内外に付て申ければ、阻しからぬ事也とてこれお遣す、互の心不浅して、はや三年に成ぬ、女今年は十六也、盛遠は十七に成けるが、〈○中略〉九月十三日のまた朝、母の衣川が許に伺行、則刀おぬき、無是非母が立頸お取て、腹に刀お指当て害せそとす、女うつヽ心なし、〈○中略〉盛遠は人の申に非ず、袈裟御前お女房にせんと、内々申侍しお聞給はず渡が許へ遣たれば、此三箇年人しれず、恋に迷て身は蝉のぬけがらの如くに成ぬ、命は草葉の露の様に消なんとす、恋には人の死ぬものかば、是こそ姨母の甥お殺し給なれ、生て物お思ふも苦しければ、敵と一所に死なんと思ふ也と雲、衣川は責ての命の惜さに申けるは、綱中加程に思給はヾ安事也、刀お納よ、今夕呼て見せんと雲、盛遠は等閑に口お堅めては悪かりなんと思て、虚言せし渡が方へ返忠せじなと、能々堅めて刀おさし、今夕参らんとて帰にけり、衣川は涙お流し、如何はせんとぞ悲みける、此盛遠が有様、雲事お聞ずば、一定事にあひぬべし、さて又呼て逢せなば、渡が怨いかヾせんと思けるが、案廻して娘の許へ文おやる、〈○中略〉女の童一人具して、仮初に出る様にて、母のもとに来れり、母つく〳〵と娘の顔お見て、はら〳〵と泣て、良久有て手箱より小刀お取出して雲けるは、此お以て我お殺し給へとて与ければ、娘大に騒て是は何事にか、御物狂はしく成給へるかとて、顔打あかめて居たり、母が雲、今朝盛遠が来て、様々振舞つる事共、有の儘に雲つヾけて、此事いかにも〳〵盛遠が思の晴ざらんには、我終に安穏なるべし共覚へず、去ばとて渡が心お破らんとにも非ず、由なき和御前故に、武者の手に係て亡んよりは、憂目お見ぬ前に、和御前、我お殺し給へとて、さめ〴〵と泣、娘これお聞て、実に様なき事也、心憂事哉と不斜歎けるが、つく〴〵是お案じて、親の為には去ぬ孝養おもする習也、御命に代り奉らん、結の神も哀と思召とて、口には甲斐申斐しく雲けれ共、渡が事お思ひ出つヽ、目には涙おこぼしけり、日も既に暮ぬ盛遠は独咲して鬢おかき髭おなで、色めきてはや来て、女と其に臥居たり、狭夜も漸々更行て磽方に成ければ、雞既に諦渡、女暇お乞、盛遠申けるは、〈○中略〉大刀お抜て傍に立たり、〈○中略〉総て思切たる気色也、女良案じて雲けるは、暇お奉乞は女の習、志の程お知らんとなり、角申も打付心の中末憑れぬ様なれば、憚あれ共何事も此世の事に非ずと聞侍れば、実も前世の契にこそ侍らめ、去ば我思心お知せ奉らん、渡に相馴て、今年三年に成侍けれ共、折々に付て心ならぬ事のみ侍ば、思はずに覚亨、何へも走失なばやと思事度々也、去共母の仰の難背さに、今迄候計也誠浅からず思召事ならば、隻思切て左衛門尉お殺し給へ、互に心安からん、去ば謀お構んと雲、盛遠悦色限なし、謀はいかにと問えば、女が雲、我家に帰て、左衛門尉が髪お洗はせ、酒に酔せて内に入れ、高殿に伏たらんに、ぬれたる髪お捜て殺し給へと雲、盛遠悦て夜討の支度しけり、女暇お得て、家に帰、酒お儲、渡お請じて申けるは、母の労とて忍て呼給し程に、昨日罷て侍りしに、此暁よおよく成せ給ぬ、悦遊ばんとて、我身も呑、夫おも強たりけり、元来思中の酒盛なれば、左衛門尉前後不覚にぞ飲酔たる、夫おば帳台の奥にかき臥て、我身は髪お濡したぶさに取て、烏帽子お枕に置、帳台の端に臥て、今や今やと待処に、盛遠夜半計に忍やかに子らひ寄、ぬれたる髪おさぐり合て、唯一刀に首お斬、袖に裹て家に帰、