[p.1131][p.1132]
陰徳太平記
三十二
杉原忠興死去附妾貞順事
忠興〈○杉原〉臨終の時、殊に哀也しは、忠興の妾の形勢なり、此人は、伯州の住人、山名豊清と雲人の娘也、〈○中略〉忠興〈○中略〉彼妾お近付、〈○中略〉隻今生に思置事とては、御身の名残計也、御こと年いまだ三十には、はるかに及ぶべくもなければ、行末久しき春秋に富る身也、相かまへて、吾なき跡に、髪下し尼と成事不可有、又いかなる人にも相馴給へ露恨とは思まじなど、細やかに掻口談ければ、彼女房何ともいらへはせず、唯涙に咽て在けるが、用ある様にて、傍へ立のき、刺刀にた両の小鼻お立様に二所裁割、綠の髪お肩にだも掛らず、押切て立出、忠興に向、又人に見えざらんと思へば、かヽる姿と成て候と雲、〈○中略〉程なぐ忠興死去しければ、彼女は、やがて芸州奴田の仏通寺に入て、朝参暮扣に身お抛て、女子出定の話頭お挙しけるが、蝴蝶の花の陰に眠りづ、、吹ともしらぬ春風に夢さめて、翅かくはしげに飛去お見て、忽悟の旨お得たりけり、