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太閤記
十四
秀吉公憐於夫婦之間事
薩州島津内小野摂津守ゆうにやさしかりし息女お持侍りしが、肥前竜造寺が家臣瀬川采女正に嫁す、采女正高麗在陣之折ふし、彼妻あこがれし思ひのほどお、聊物にしるし付侍りしお、便の船にことづておくりけり、折ふし難風おびたゞしう吹来て、船はそんし、荷物博多の浦へ寄来るお、漁夫拾ひ上侍りしが、其中に澀ぞめやうの紙にて、能つゝみたる物あり、ひらいて見れば文箱とおぼしき物侍りしお、ほどきみれば、まきえなどもけだかく、よのつねならぬ文匣なり、いやしき者などの致披露物にあらざむめりとて、所の吏務へさしあげぬ、吏務請取つゝ、将軍之御前衆へかくと申上侍りければ、即秀吉公へ文箱の符おも切ず上しかば、右筆にて侍る山中山城守おして御一らん有に、女の文にて筆勢いとうつくしく書つゞけたり、〈○中略〉秀吉公山城守おして御らんなされ、憐なる事共也、然ば竜造寺かたへ、此瀬川采女正お帰朝せさせよと、御内書有しかば、頓て肥州へ参たり、