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常山紀談
二十三
奥平の長臣奥平源八、〈一に伝八〉父の讐同姓隼人お討しに、相与せる士多し源八幼くして奥平の家お立去しに、一味の面々も皆立去て、源八が成長お待居ける、其中に一人の士、妻は稲葉丹後守正通の家の士の女にて有けるが、父のもとに預け置しに、頓て讐討べきに及びて、妻のもとに行て、存る旨のあれば離別するなり、いづ方にても嫁し候ひて、親の苦労に成給はざれといひければ、彼妻聞て、年久敷隔なく過候ひしに、俄にかく仰候は、定めて故有べし、然らずしていとま給はりては、親に向ひていかにいふべき詞も候はずといひければ、今はつゝみがたくして、誠はしか〳〵の子細にて、讐おうつに組したれば、其時は討死するか、又は公の咎によりて殺さるゝか、につの間に有べし、御身は年若き人の、我死後に艱難すべければ、いたはしくてかくの如くいひつる也と語りければ、彼妻もとゆひの際より、髪おふつときり、讐打すまし給うて相見ゆるまで、此髪いろひ申さじと誓言して、別れけるとなり、其後讐討おほせて、彼士も散々に働き、助太刀して彼妻のもとに行て対面しけるに、もとゆひの間より髪の長く出て、もとゆひは其まま有しとぞ、