[p.1147][p.1148]
駿台雑話

仁は心のいのち
ある時、例の人々とぶらひ来て、講習しけるが、仁義の説に及べり、中にひとりいひけるは、人は天地の心お得て心とす、天地は万物お生ずるおもて心とする故に、それお得て心とすれば、人は人お愛するおもて、心の徳とする事勿論なり、よりて仁は心之徳、愛之理といへり、心の徳とあれば、仁義礼智諸ともに仁にもるゝ事なき程に、仁は四者お包て、義も、譜智も、仁によりて立なり、是は翁〈○室鳩巣〉の講説にてかねて承りし事にて侍る、但仁は人お愛する心にあらずや、それお衆善の長とする事、たれも知たるやうに候へども、大かたは人はたゞ慈悲お第一とするおもて、仁お衆善の長とするとばかり意得侍る、それは慈悲の重き事おいはゞ、しかいふてもやみなまし、今仁お心の徳とするは、さやうの一通りの浅き事にてはあるまじく候、いかなれば慈悲の心ひとつが、心の徳となりて、義も礼も智も仁なければ、うせほろぶるにやあらんと工夫すべき事にて侍る、此ところお今少し承たくこそ候へ、翁聞て、隻今申さるゝ所、すこしもちがひなく聞へ侍る、されば日ごろ申たる外に、改て申べき事もなく候へども、猶くはしく串候は申ゝ、心の仁あるは、人の元気あるがごとし、人の元気は脈にあらはれ、心の元気は愛にあらはる、脈のかよひ絶れば、人死するごとく、愛の理ほろぶれば、心死する程に、仁は心のいのちとも申べし、夫心は活物なるにより、人に情あり、物の哀おしりて、常にいきたる物ぞかし、よりて父母お見ては自然に親愛し、親愛せざるに忍びず、君長おみては、自然に尊敬し、尊敬せざるに忍びず、歯徳お見ては自然に巽譲し、巽譲せざるに忍びず、義お聞ては必感ずる事おしり、不義お聞ては必恥ることおしる、もし情なく哀おしらずば、其心頑然として、鬼畜木石のごとく、痛さ痒さもしらずなりなん、何おもて自愛し、なにおもて恭敬せん、義お聞て感ずる事なく、不義お聞ても恥る事なかるべし、是おもていふに、仁義礼智いづれも心の徳にして、各其理わかるれども、其本源は仁に外ならず、人として不仁なれば、義も礼も智も其さまあり、其用ありといへど、所詮内より生ぜねば、真の徳にあらず、公の理にあらず、この故に仁に心の徳といふて、外に徳おいはず、仁に愛の理といふて、外に理おいはず、そのいはざる所に、ふかき意ありとしるべし、