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澀柿
明恵上人伝
承久三年の大乱の時、栂尾の山中に、京方の衆多く隠置たるよし聞えければ、秋瞬城助義景、此山に打入てさがしけり、狼藉のあまり、如何思ひけん、大将軍泰時朝臣の前にて沙汰有べしとて、上人お捕へ奉て、先に追立て六波羅へ参けり、〈○中略〉泰時朝臣先年六波羅に住せらる、時、此上人の御事聞及給しかば、先仰天して驚畏て、席お去て上にすへ奉る、〈○中略〉上人宣ひけるは、高山寺に落人多く隠置たりといふ御沙汰の候なる、それはさぞ候らん、〈○中略〉此山は三宝寄進の所たるに依て、殺生禁断の地也、依て鷹に追るゝ鳥、猟ににぐる獣、皆こゝに隠れて命お繫ぐのみ也、されば敵お逃るゝ軍士の労して、命計お資て、木のもと岩のはざまに隠居て候はんずるおば、我身の御とがめに預て、難にあはんずればとて、情なく追出して、敵の為に搦めとられて、身命お奪れん事お、顧りみん事やは候べき、〈○中略〉是政道のために、難儀なることに候はゞ、卵時に愚僧が首おはねらるべしと雲々、〈○中略〉泰時大に信仰の体に住して、更に思ひ入たる様也、扠御輿用意して召せ奉りて、門の際まで自送出し奉る、〈○中略〉
完喜元年、天下飢饉なりし時は、鎌倉京お初て、諸国の富る者に、我所負主に成て、委状おかゝせ、判お加へて、米お借て、其所、其郡、其郷、村々餓死せんとする者の所望に随て、むらなく借給ひにけり、来々年中に、世立なおらば、本物計慥に返納すべし、利分は我方より添て返さるべしと、法お定られて、面々の状お召おかれけり、隻賦給はゞ、所の奉行も紛おかして、誑句も有ぬべければ、紛かさじために、かしこかりし沙汰也さて世立なおりて、面々返納すれば、本所領なども有て、便有人のおば、本物計おさめさせて、本主には約束の儘に、我方より利分おそへて、慥に返しつかはされけり、無縁の聞有者のおば皆赦し給て、我領内の米にてぞ、本主へは返したびける、