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常山紀談

大永年中、細川武蔵守高国、〈入道道永と称す〉三好左衛門督と相戦ふ、〈○中略〉高国の軍破れたり、高国の将荒木安芸守百ばかりの兵お引わかち、〈○中略〉いく度となく戦ひたるに、敵討るゝ者数おしらず、荒木主従一人ものこらず、討死しける間に、高国僅に近江にのがれ得たり、荒木平生士卒お愛するに、悃情お尽せり、古への食お分、衣お解、薬お同し、苦お共にするの風あり、少しの功ある人おすてず、ある時、荒木がしたしきゆかりある人と、荒木が士のかろき者と、倶に疫痢お煩ひけるに療養力のかぎりに心お付てゆかりある人よりも、まさりければ、これお恨けり、荒木縁者はわれ問すとも、心お附る人あり、わが何がしは賤し、いやしき者は、人おろそかにせん、われ心お尽さずば療養おこたりあらん、縁者おおろそかにするには非れども、先重き処に、心お尽せるなり、無事の時は、縁者したしといへども、事ある時は、士卒の切なる故なり、したしき一族ゆかり有とても、陣々わかれたれば、互に死生もしられず、士卒は戦場に死生お共にするものなれば、一人とても、本意お失ん事、わが大なる患なりと答けるお、士卒聞て、人々恩お思ふ事、骨髄に徹せりとなん、