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明良洪範

榊原康政嫡子遠江守康勝死去、実子有しかど、子細有じ隠せし故、家断絶に及そとす、弟忠政大須賀の養子なりしが、養家お捨て実家お継ぐ、称号お給りて松平式部大輔と雲、徳川家の士大将となり、播州姫路お給りし所、勝手甚不如意なりし故、所持の名器お売れし、其中に天下に沙汰せし名物の茶入あり、京極丹後守広高望みて金一万両に買れける、式部はとても天下に恥お晒す上は、右一万両お銭にて申受度と望れし故、江戸中の銭お買入、車数千両に積送られし、式部は是お以総家士お救ひ、広高は領内の民百姓おしえたげて、己が薬みお極む、其頃世上の評に、式部名器お捨て名お天下に上しと雲り、