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京兆府尹記事

長谷川備州死去子息平蔵の弁
平蔵〈○火付盗賊御攻役、中略、〉一封の書お、輔佐の重臣たる奥州白川の城主松平越中守殿〈江○定信〉献ず、〈○中略〉其趣意は、〈○中略〉非人多きは国の恥なり、若臣に台命お蒙りなば、け様の族お召捕て、両国の下流、佃島無人島等に於て、身持相応の産業おおしへ、雑費の外は、其者共の徳分と為致、銭財おたもたしめ、店お為持、渡世お為致なばよかるべし、国の元は百姓たれば、其中より撰び百姓に仕立、御料私領に不拘、無人の土地へ有付なば、百姓無之のうれひもなかるべしと言上す、越公殆ど感じ、是聖賢の道なり、能心付たりとて、則上聞お経るの所、御感に思召、その奉行お長谷川平蔵江被命ければ、既に其御用に取懸りけるにぞ、其美名日本にひゞき、平蔵が仁慈お称せざるものなし、