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常山紀談
十一
謙信〈○上杉〉の許に、岑沢何某といふ士罪有て、放斥せられしに、越中の椎名に奉公し謙信越中へ師お出されし時、彼士叢にかくれ、鉄炮お持て伺ひ居たりしが、俄に鉄炮お傍に投捨て、泣居たり、謙信見出して、いかに岑沢、めづらしといはれしに、さばかりの仁君智将お討奉らんと存ぜし事、悔しく成て候、今遥に見奉りて、先に屋形の心に背き、又かゝる設けお工み申事、此上もなき大罪にて候、とう〳〵首お刎らるべしといひてひれ伏ければ、謙信打笑ひ、吾に智仁とは相応せざる虚名なり、疾馳帰りて、椎名によく仕へよといはれしかども、かの士越後に帰りて、農夫と成て、一生お終りたりとかや、