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古老夜話

太閤秀吉公、小田原御陣之時、御本陣に能お催さる、諸大名江見せしめけるに、上杉家に寄宿せし花房助兵衛といふもの、御本陣之前お通掛り、打囃子物音お聞、大にあきれ、前には強敵お置ながら、早々攻落す手立もなく、陣中にて、能はやしの様子、たはけものお武将と仰くおかしさよと、大音に罵りけるお、御本陣番衆聞とがめて、何ものなるぞと尋る、助兵衛少しも恐るゝいろなく、拙者は上杉家に寄宿する、花房助兵衛也といへば、番のもの共、何ゆえ御上之義お誹講する、酒狂か乱心か、役人中迄届可申といへば、助兵衛猶もあざ笑ふて、陣中にて遊興之禁お第一とす、本陣にて慰おし給ふ大将こそ、酒狂か乱心か成べし、御側の大小名、是お諫るものなきは、皆大腰ぬけと見えたり、鳴ものゝ音お聞も穢らはしと、御本陣之堀〈江〉唾おしかけ、己が陣〈江〉帰りけり、番之もの聞兼、奉行長束大蔵小輔〈江〉訴出る、早御能も相済、講大名も退出せられ、大夫にも御暇被下退きし所、長束大蔵罷出、先刻上杉景勝之寄宿花房助兵衛と申もの、御陣外にて、かやう〳〵の悪言、番之者訴候と言上しければ、太閤以之外御怒にて、景勝呼と、しきりの上意、人橋おかけて被召ければ何事やらんと、早速御前へ出られければ、大将つゝ立上り、やあ景勝、女が手に属せし花房助兵衛、我おさみする無礼之悪言、にくき匹夫め、はや〳〵召捕、逆磔にあげよ、用捨しては、女共にゆるすまじと、おどり上りてのゝしり玉へば、上杉大きに恐れ、私義は御前にて、御能拝見仕、助兵衛不礼いさゝか不奉存、上意お承り驚入、言語お絶し候、作憚罪お糺し候はんと、御前お退き、二丁程帰りかゝりし所、追々呼つけたれば、景勝恐怖して、助兵衛が悪言故、我も御咎お受んかと恐入て、御前江出ければ、御機嫌宜しく、助兵衛不届とは雲ながら、我等に向ひて、雲にもあらねば、首お刎て、諸人之禁にすべしと被仰出、かしこまり御次まで退し処、又々景勝お召る、はつと立戻り平伏す、太閤しばらく御工夫之体にて、助兵衛義、浪人ものにて、此札其方が手に属したりとも、家、来といふにも非ず、誹謗之罪にて、首お切らん事おゆるし、武士之義お立、劫腹申付べしと宣ふ、景勝少し心お安んじて退出す、跡にて秀吉公、猶も御工夫有之、又々景勝お召れける、景勝立もどり罷出しに、大将これへと近く召れ、我つく〴〵おもふに、助兵衛が言葉、理之当然也、陣中にて能興行せしは、我威勢つよく、敵お恐ざる事おたのしみ、北条方之者ども、驚かせんためなれば、あながち慰みといふには非ず、然れども大敵お恐ず、小敵おあなどらずとは、軍中之禁也、援お以、花房が惡言、不届とは雲ながら、大名旗本数千人、我おおそれ、詞お出すものなきに、本陣に唾お仕かけ、大将は酒狂か、乱心かとの荒言は、たぐひもなき器量者也、古青砥左衛門藤綱、〈○中略〉おとらぬ花房、我おさみせし器量、誹謗の罪おゆるすべし、今より其方が軍師同前におもい、おもくもてなし、幕下にすべしと、打て替りし御機嫌に、景勝はじめ、有あふ諸侯、誠に大器之大将かなと感じあへり、偖こそ景勝は、花房お尊敬し、小田原攻に武功おあらはしけるが、後に至て、直江山城と不和になり、上杉家お離れ、家康公の御家人となり、子孫繁昌也、