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藩翰譜
五/酒井
或時、大御所〈○徳川家康〉御前の人々に、御物語ありしは、酒井備後守が所領の地に、備後といひし百姓あり、忠利が家従等、彼百姓お召して、地頭の御受領お犯し名のる事然るべからず、速に改め名のれといひしかば、彼の者大に驚き歎き、某年々の年貢、人より先にまいらせ、月々の公役、遂に怠る事なし、然るにかゝる難儀お承るこそ不運なれ、某此所に久しく住て、代々備後と名乗、ほとりには隠れなき者なり、今さら改め名のらん事協ふべからず、たゞ殿の御受領お改めらるべきにて候と雲ふ、忠利是お聞て、年貢よく納め、公役怠たらず、神妙の至りなり、さらば女は此所の備後にこそあれ、たゞ其儘に候へと許しけり、凡世のおろかなる人は、よしなき事に、人お苦しめ、おのが威お立んとし、無益の事お務めて、有用の事お失ふ、此忠利は、天性和かにして、愛深く、其智また少なからず、彼れ後必栄ゆべき者なり、と仰られしと雲雲、之お見て、忠利が事推て知るべし、