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有徳院殿御実紀附錄
十四
ある日、大川に舟消遥ありしに、〈○徳川吉宗〉御舟にありし賎しきもの、あやまちて御座の障子にふれてそこなひしかば、御側にありし人、立出てこれお叱しけるお聞召、目付ども聞べきぞ、さないひそと仰ありければ、御供の目付、其ほとりにありしかど、この御詞お聞、わざとかたはらにひらきいたりしとぞ、〈○中略〉また葛西の辺にわたらせ玉ひし時、御やすみ所より、俄にかへらせ玉ふ事有、御供の小人〈高間源兵衛といふもの也ともいふ、さだかならず、〉狼狽して、もちたる調度お御額にあてしかば、おどろきてそのまゝひれふしけり、御側近き人々も、肝おひやしけるに、目付はありあはずやと仰ありしかば、目付大岡右近忠住、心きゝたるものにて、はやくも御旨お察し、群集の中に立かくれければ、近習のともがら、目付は侍らずと言上す、目付等見ざる事ならば、女等かまへて其沙汰すまじとのみ宣ひて、何の御咎もなかりし、