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孝義錄
二十/陸奥
孝行者小右衛門
小右衛門は河沼郡野沢原町村の百姓なり、〈○中略〉同じ領のうち、駅路の橋など破る主時は、人にもしらせず、己が材木お出していとなみ渡し、昼夜となぐ道おつくり、人馬の煩ひなからしむ、上お重んじ公納おかゝず、人夫にさゝれてその催おまたず、此よし領主に聞えて、延享三年、褒美の米おあたへき、〈○中略〉越後の駅路軽井沢よ少縄沢の間は、五町程も至りての難所ありて、雲崩もあり、秋の長雨ふる頃は、人馬ともに行なやみしお、六年前より、新たなる道お開きしに、或は役夫お雇ひてこれお築かしめ、又は石切に命じて岩山お切わらしむ、凡人夫お用うる事、千人にあまり、賃銭もまた二十貫文ばかりなるお、小右衛門一人の力お以てこれお弁じ、これより四年前の七月までに、営作こと〴〵くになりぬ、又縄沢のうち白坂甲石村の下なる新道おも、みづから開しとそ、年頃険阻の道お平かにし、公納おかく事なく、村のうちの争論うち〳〵にてあつかひすまし、領主の裁判おわづらはさず、年々にいやましの善行身につもりしかば、明和元年、かさねて褒美して、米そこばくおぞあたへける、