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春鑑抄

義とは、説文曰、己之威儀也と雲り、いぎとは行住坐臥の四威儀ぞ、行も住も坐するも臥も、威儀のはつたとしたるお義と雲ぞ、釈名曰、義宜也、裁制事物使合宜也と雲て、義と雲は宜也、義字のこヽろは宜と雲字のこヽろぞ、裁制事物使合宜なりと雲は、万事万物のよろづのことおよくことはりて、それぞれによろしきやうにすると雲ことぞ、さるほどに韓退之は、行而宜之、之謂義と雲たぞ、朱文公は心之制、事之宜也と雲たぞ、心の制とは、こヽろにてよくことはりて、こヽろのわきへゆくおおさへて、義にすると雲心ぞ、事宜也とは、万事のことおこ、こにことはたて、よろしきやうにすると雲こヽろぞ、心の制と雲お斧にたとへたぞ、たとへばよくものヽきるヽ斧のあるが、竹なりとも木なりともあらば、二つにさつとわるぞ、人の心に天理自然の性ありて、よろづのことの義と、不義とお、わくるやうなぞ、さるほどに斧の竹お二つにわるやうなぞ、さるほどに人ごころの、公平正大にして、毛のさきほども人欲の私おまじへずして、義理おぎりとするは義ぞ、その義のよろしきところとは、なにぞなれば十義と雲て、まづ十の義あるぞ、父子、兄弟、夫婦、長幼、君臣の十の義ぞ、父たる人は、慈悲ありて子おあはれむがよろしき処ぞ、あはれまずんばすでに義にあらず、子たる人は、父母に孝行なるがよろしき処ぞ、孝なくんば、子たるものヽ義にあらず、兄たる人は、おとおとにたいし、やはらぐがよろしき処ぞ、弟たるものは、兄にしたがふはよろしき処ぞ、孟子に義之実、従兄是也と雲て、おとおとたるものは、兄にしたがふものぞ、さるほどに義と雲ものヽ真実は、兄にしたがふお雲と孟子のいはれたぞ、夫たるものは、めにたいして義おまほるが、宜き処ぞ、婦たる人は、貞心にしらふたごヽろなく、夫にしたがふが宜き処ぞ、老たる人は、いとけなきおめぐむが義ぞ、いとけなきものは、老たる人にしたがふが義ぞ、君たる人は、仁愛ありて臣下万民おあはれむが宜き処ぞ、さなくんば君たる人の義理がちがんたぞ、臣たる人は、君に忠おつくし、敬おつくすが宜き処ぞ、さなくんば義にあらず、不忠不敬ならば、臣たる人の義理でないぞ、さるほどに君の一大事には、一命おもはたすは臣の義ぞ、これお十義と雲ぞ、孟子に生亦我所欲也、義亦我所欲也、二者不可得兼、舎生而取義者也と雲れたぞ、いふこヽろはいきているも、われが子がふところなり、また義理と雲事も、わが子がふ処也、おなじくはいきていて、義理にそむかぬはよけれども、生と義とのにつお、兼て得事がならずんば、死して義理おとらんぞ、義理にそむひては、いきても詮がないほどにといふこヽろぞ、〈○下略〉