[p.1186]
彝倫抄
義とは、心之制、事之宜とて、本心にむまれつきて、物お決断する心あり、そとへあらはるヽときは、万事万物について、よろしき道にしたがふて、行ふお雲ふなり、よろしきとは、義理おしることなり、義理おしらぬは畜生なり、此義理本心にそなはりたる証拠あるなり、隻今かつ、え死なんとするに、人来りて食物おあたへんに、あしくきたなく雑言して、あたへるならば、いかにうえ死ぬるとも、誰れかくふべきや、これ義の発する所なふ、かやうにすこしの所にては、義理の心が発して、命おすつれども、大なる欲心になりては、義理お忘れてうくるものなり、義理およくしりぬれば、偸盗戒おたもつなり、