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太平記
十八
瓜生判官老母事附程嬰杵臼事
里見伊賀守、瓜生兄弟、甥の七郎が外、討死する者五十三人、被疵者五百余人也、子は父に別れ、弟は兄に殿れて、諦哭する声、家々に充満り、去共瓜生判官が老母の尼公有けるが、敢て悲める気色もなし、此尼公、大将義治〈○脇屋〉の前に参て、此度敦賀へ向ふて候者共が、不覚にてこそ、里見殿お討せ進せて候へ、さこそ被思召候らめと、御心中推量り進せて候、但是お見ながら、判官兄弟何れも無恙してばし帰り参りて候はヾ、如何に今一入うたてしさも無遣方候べきに、判官が伯父甥三人の者、里見殿の御共申し、残の弟三人は、大将の御為に活残りて候へば、歎の中の悦とこそ覚て候へ、元来上の御為に、此一大事お思立候ぬる上は、百千の甥子共が、被討候共、可歎にては候はずと、涙お流して申つヽ、自酌お取て、一献お進め奉りければ、機お失へる軍勢も、別お歎く者共も、愁お忘れお勇みおなす、抑義鑑房が討死しける時、弟三人が続て返しけるお、堅く制し留めける謂れお、如何にと尋ぬれば、此義鑑房、合戦に出ける度毎に、若此軍難儀に及ばヾ、我等兄弟の中に、一両人は討死おすべし、残の兄弟は命お全して、式部大輔殿お取立進すべしとぞ申ける、是も古の義お守り、人お規とせし故也、