[p.1192][p.1193]
結城戦場物語
乳母の女房〈○足利持氏子春王安王乳母〉走り出、輿のながえに取つきて、〈○中略〉宵の酒もりに痛くねぶらせたまふと思ひ、簾かき上みれば、桶二つきぬ引懸て見えにけり、めのとの女房是おみて、やがて消入物いはず、〈○中略〉かくて京都にも著きしかば、御実撿ありて後、めのとの女房おも強問有べしとて、奉行が出て〈○中略〉いかに〳〵ととふ、乳母の女房承り、さん候、御むほんのくみ人数は、女の身にて候へば、更にしらず候、さて若君とては隻二人御座有しお、かやうになさせ給ふ上は、何の不足の御座有べきと、隻さめ〴〵となきいたる、奉行人数是お見て、さあらば急ぎいためてとへ、承ると申て、錐にて膝おもませらる、其外七十余度の拷問は、目もあてられぬしだい也、やゝありて女房は、物申さんと申、暫く拷問おとゞむ、あらむざんやこの女房、高声に念仏十返ばかり唱へ、みづから舌お喰切て、かしこへこそは捨にけれ、奉行の人々是おみて、いかに問責むればとて、舌有てこそ物おばいふべけれとてはなされたり、あら痛しやこの女房、泣々東山こさんの僧に参り、〈○中略〉
きえはつる露の命の終りには物いはぬ身となりにける哉、とかやうにかきとゞめ、ついに空しくなりにけり、