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祖父物語
一滝川左近将〓内、滝川儀大夫と雲ものあり、是は左近甥なり、太閤、滝川と取合の時、伊勢の国み子の城に、人数千二百ばかりにて、たてこもりけるお、〈○中略〉四十八日の間に、太閤方に手おい死人二万ばかり有、城中にも手負死人七八百人も有けるとなり、此儀大夫は、心剛にして、かくれなき鉄炮の上手なり、後には玉薬兵粮もなくて、十八日持かためたり、其内馬や人お食したりと聞ゆ、太閤、儀大夫お惜ませ玉ひ、左近方へ使お立、〈○中略〉左近、自筆の状お遣はしければ、則城おあけ渡しける、太閤、儀大夫に仰けるは、左近はとても打果すべし、我方へ来れ、五万石遣すべしと仰ければ、儀大夫忝き仕合、身に余り候へども、左近あらん内は、たとへ百万石下され候とも参るまじ、御免なされ候へと申ければ、其時太閤女が心中にては、左近あらん内は見とヾくべし、其間は町人なりともせよとて、黄金二千枚に、感状お添て賜りける、峯の城は、わづかなる小城、亀山の城には、ばつくんおとりたれども、儀大夫心剛に分別ふかき人なりと諸人申ける、