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駿台雑話

士の節義
明智光秀が織田信長お殺せんとて、丹波路より引返す時、塗中にて旗下の将士へ、隠謀の企ある事お始ていひきかせ、さて一党同心せんといふ一紙の誓文お出しけるに、軍士たがひに驚き視て、とかうの事に及ばざりしに、斎藤内蔵介申けるは、此御企千にひとつも御利運あるべき事にて候はゞ、同意いたすまじく候得ども、御敗亡は見へたる事にて候、それに隻今辞退いたし候はば、命おおしみて其場おはづし申にて候、それは士の義にあらずとて、一番に血判しけれは、残りの人々も一言に及ばず、みな同じけるとなり、孟子に非義之義、大人弗為といへり、内蔵介が義は、大人のせざる所なり、此時光秀おつよく諫てきかれず、光秀が手にかゝりて死なんは、中々まさるべし、万一光秀本望お達し、永く世にあらば、内蔵介いきておるべきや、いきておらば前にいひたる事はいつはりなり、よしまた其時自殺するにもせよ、賊党の名はのがれ得ず、世話にいはゆる、犬死といふべし、畢竟義理の筋にくらき故に、小節に拘り、時勢に逼られて、ついに賊党に陥り、極罪に処せられけるは、なげかしき事ならずや、