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駿台雑話

天野三郎兵衛
天野三郎兵衛〈○康景〉は、慶長年中、駿州興国寺の城主として、三万石お領しけり、領地の竹おきらせて、営作の為に積置て、足軽三人おして、守らせけるに、御領田原の郷民、此竹お盗取しかば、番おせし足軽見付て、盗一人おきり殺す、残党逃去て、代官井手某に訴ふ、〈○中略〉人お康景がもとへつかはし、御領の民お、こなたへ断なくして、卒爾に殺す事重罪なり、速に其足軽お誅すべきの由お、いひやりければ、康景盗お殺すは、古今の法なり、なにおもて罪とせん、其上かの足軽、私に殺すにあらず、康景下知してころさしむ、もし此事誤にならば、康景罪に行はるべしとて、少も許容の気色なし、井手其まゝにてはやみがたき故、郷民実は竹おぬすまず、無実の罪にてころさるゝお、康景己が足軽に荷担して、誅せざるの由、言上しければ、康景が許へ、下手人出すべきの由、仰出されけれとも、前のごとくいひて、御うけ申上ず、東照宮きこしめして、〈○中略〉本多上野介正純お、康景が許へつかはされて、たとひ此事理なりとも、一たび仰出されたる上にて、其通に仰付られねば、御威光も軽きやうに聞ゆる間、三人に鬮おとらせ、其内一人とりあたりたる者お誅し、しかるべきのよし、正純申されしかば、御威光軽くなるとある上には、とこう申上るに及ばずとて、御うけ申上にける、さて申けるは、理おまげて、罪なき者お殺し、我身お立るは、勇士の本意にあらず、所詮身お退るにしかずとて、いづちともなく逐電し、行方はしれざりけり、〈○中略〉鳴呼康景、潔白の士なるかな、無辜おころして、己が身お立るは非義なり、ころさねば、上意にそむくに似たり、とにかくに世にありては、身の一分たゝずと思ひきりて、三万石の禄お棄て、跡おけちぬるこそ、世に類ひなき事と雲ふべし、