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常山紀談
十五
大坂の乱起りし時、嘉明〈○加藤〉江戸に残しとゞめられ、不慮の事あらば取まきて、攻殺んといひあへり、其比、夜更て、河村、〈○権七〉嘉明の屋敷の門おたゝき、青木佐右衛門お呼出す、青木あやしみ立出て見るに河村なり、こはそもいかなる事ぞといふ、河村、事あたらしきやうなれども、君に仕ふる者の忠お致すは、常の習ひなり、〈○中略〉十余年、山中にかくれ居しに、しか〳〵の事にて、殿も危くおはしますと聞て、夜お日に継て参りたりといへば、青木、誠に義理の志はさる事なれども、殿のいかり甚しければ、かくと申たりともゆるされじ、とく帰られよといへば、河村、臣たる者の義お知れなば、河村はなど来らざるやといはるべきに、門内にだに入ず、とく帰れとは口おしの詞、よ、此上は町屋にかくれ居て、殿の先途お見んと雲しかば、青木左らば先申て見んとて内に入、嘉明に告れば、〈○中略〉嘉明、女が志、いはんやうもなしと悦れけり、夜明て、河村こそ来れとて下部までいひはやし、大軍の援有が如くいさみけり、嘉明、寵愛して八千石あたへられけり、