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明良洪範
二十四
大母殿
大母殿台廟〈○徳川秀忠〉の御乳母にて賢良の女なり、其子某事は山中源左衛門の党類なるによつて、流罪に仰せ付られ、其後大母殿は台廟の御尊敬あなからず、〈○中略〉大母殿病にかヽり、甚はだ心元なき由聞召れ、御成遊ばされ仰せられ候は、思の外顔色も宜し、されども前方申し度ことも候らはヾ申置べし、何事にもあれ、御協遊ばさるべくとの上意有ければ、〈○中略〉已に御立座に相成時、上様と呼返し申上候は、先頃より再三何も願はなきかと御意遊ばされ候事お考へ候得ば、忰が事お、此婆々が臨終に気に掛り候半と思召候ての御言と存奉候、必御赦免下され間敷候、若此婆々に対して、御免遊ばされ候得ば、御乳お上候御馴染故、天下の大法お犯し成され候にて之有候間、後代迄御政道に疵付申可候、私黄泉の障に相成候間、必御免下され間敷由申終、頓て卒す、皆人其志の程感賞せり、