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名家略伝

近松行重母
義士近松行重、赤穂お退き去るの後、その母とともに江戸に来り、族家に寓居せしめ、近きあたりに住みて、晨夕母のもとに行きて、起居お問へり、復讐のひと日前にあたりて、〈○中略〉行重雲、はやく大人に、この事〈○義士復讐〉お聞えまいらせば、吾身の上お哀しみ給ふて、朝夕の歓おそこなはんことおおもひて、あへて告げざりしといへば、母雲、女が言もうべなりとて、起て一間に入りしが、久しく待ども、出で来らざれば、行重おぼつかなくて、往て見るに、母みづから刃に伏して、傍に遺書ありければ、うら驚きつゝ、その書お見るに雲、おそらくは母に心のひかれて、義気の振はざることおおもへば、今吾先だち死して、女が報国の志お専にせんとす、つとめはげみて、衆におくるゝことなかれと懇に喩しけるほどに、行重その書お見て、働哭むこと大かたならず、悔雲、我窮厄おもて、わが無きあとの、養ひなきお思ひはかりて、母に物がたりけるに、打聞て戚色ありといへど、かかるべしとはおもはじ、猶余命のありながら、自殺したもふことの悲よと、千度百たび嘆きかなしみつゝ、同僚に喪の助けお請ひて、家あるじに、葬事のとりまかなひ託するよし、懇にかき述べ、ならびに金若干お封じ、母の尸のかたはらに置きて、夜おこめて去りしとぞ、