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駿台雑話

阿閉掃部
秀康卿、越前に封ぜられ給ひし後、阿閉掃部とて、武功の誉ありし者お、厚禄にて召抱られけり、〈○中〉〈略〉掃部〈○中略〉某一生の内に、武者振の見事なる士お一人見申て候、その事おはなし申べし、江州志津岳の戦に、暮方に某一騎余吾の湖のわたりお引候ひしに、〈阿閉掃部が父は阿閉淡路守とて、明智にくみしけるとなん、然れば志津岳合戦の時、掃部は柴田方にてあるべし、〉敵とおぼしくてうしろより詞おかけし故、馬お引返し候へば、其人申候は、今朝よりかせぎ候へども、よき敵にあひ申さず候、御人体お見うけ幸とこそ存候へ、御不祥ながら御相手になり申べきとて、すゝみより候故、それこそこなたも望む所にて候へとて、たがひに馬おのりはなし、すでに鎗おあはせんとしけるに、其人しばし御待候へ、今朝より雑兵おおほく突崩し候故、鎗よごれて候まゝ、鎗おあらひ候て御相手になり候、はんとて、余吾の湖に鎗お打ひたし、二三遍あらひつゝ、さらばとて突あひしが、久しく勝負なかりし程に、日も暮はてゝものゝあやめも見へずなりぬ、其時あなたより又詞おかけ、もはや鎗先も見へず候、御残多くは候へども、是までにて候、御いとま申候べし、御名こそ承たく候、某は青木新兵衛と申者にて候とて、某が名おも承り候て、此後又陣頭にて出合候はゞ、たがひに人手にはかゝり申まじく候、もし又味方にて候はゞ、わりなく入魂いたし候べし、さらばとて立わかれしが、是程見事なる武士はついに見侍らず、いかゞなりはて候にやと語りける、〈○下略〉