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伊勢平蔵家訓
慎独の事
一慎独と書てひとりおつゝしむとよむなb、独おつゝしむといふは、人がみるによりてつゝしむ、人が聞によりて慎といふわけへだてなく、人の見ぬ所にても慎み、人のきかぬ所にてもつゝしむおいふなり、人の見聞にかまはず、我一分のつゝしみなり、あしき事は必ずあらはれやすきものなり、惡事千里おはしるとて、遠方までも忽に知るゝなり、天知る地知るとて、知れずといふ事なし、惡事おかくすとて、色々の偽おかまへて、いひかすめるとすれども偽りおいへばいふ程つまりつ、まりのあはぬ事おいひ出すゆえ、いよ〳〵惡事のあらはるゝ種となり、其身よりも立越てかしこき人は、いくらもありて、かくしおほへども、明きらかに見てとり聞てさとるなり、人はしるまひ、聞まひ、あらはれまひ、あらはれたら、如斯いひぬけおして済すべしとおもふは、其身、の智恵のたらぬゆえ、人おも我がやうなるものと見くびり、人おたわけにするといふものなりされどもかしこき人は、幾人もあるゆえ、見咎め聞とがめて、忽あらはるゝなり、去間かりにも人に聞せたくなき事、見せたくなき事、かくし度事おばすべからず、慎むべし、いましむべし、恐るべし、又独と雲字は、人が悪事おするとも、其まねおせずして、我一人慎といふ心もあり、