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藩翰譜
十二下/石川
三方が原の合戦の時、数正〈○石川〉織田殿〈○信長〉の加勢として、遠江の国に向上、武田入道〈○信玄〉遠江の国に向ふと聞て、取て返す、昔美濃の守護土岐が国に在りといふ浅岡の何某は、弓矢取てさる古兵と聞えしかば、数正彼が許に行き向て、此度本国に帰り候はゞ、定て討死仕るべし、数正小兵には候へども、弓引矢放さんやうは、かたの如く習て候ひき、然るに田舎に生れ、育ちたる身の悲しさは、軍陣に臨まん時、鞢さし緒むすぶやうは、いまだ学びさむらはず、されば最期に、何某は弓矢の骨法知らざりきと、かたきに笑はれ候はん事、骸の上の恥辱、何事か是に過ぐべき、あはれ御指南お受けばやとて、伝へてけり、夜お日に継で馳せ下る程に、遂に其日の戦にぞ逢ひたりける、武田大膳大夫入道、この事お伝へ聞て、武士の家に生れて、其道お嗜む事、誰も斯くこそ有べけれ、あつはれ徳川が弓矢侮りにくしとて、感じ給ふ事斜ならず、