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大三川志
十四
天正三年御年三十四
夜窃に二俣お襲んと、軍お出し給ふ、其夜風烈く雨急なれば、軽く兵お引揚げ、浜松に帰城し玉ふ、本多忠勝、人お馳せ、浜松の城門にゆき、公〈○徳川家康〉今帰城なり、門お開くべしと告ぐしむ、是時内藤正成、足お痛み、二俣の軍に従はず、城の留守たり、是お聞て命お下し、堅く門お閉て敢て開かず、忠勝怒り、門お叩き開けと呼ども、曾て聴ず、正成櫓に登り、火炮お持し、夜中何者にして此の如き、退かずんば殺んと雲、忠勝是お神祖に告ぐ、神祖自ら門に至り、正成は居ずや、我今帰れりと宣ふ、正成御声お聞き、提灯お揚げ見届奉て、門お開き出迎へ奉る、神祖大に正成お賞し、女に城お守らせば、敵虚お謀り攻ることありとも、侵すこと能はずと宣ふ、