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常山紀談

朝鮮にて清正〈○加藤〉全州に在る時、清正お太閤呼れしかば、日本に帰るとて、打立れけり、戸田民部少輔高政、密隅に有て、清正と旧友なれば、もてなすべき用意して待れしが、〈○中略〉程なく清正著陣せられ、屏重門より入、椽にて民部近習の士二人寄て、清正のさゝれし馬藺お取て旗籬に立る、清正椽に上らるれば、よりて、草鞋の紐お解、脚当の緒お解く時、清正腰に付たる緋曇子の袋お、座敷へ投入たるに、どうと落る、米三升計に、味噌銀銭三百文入れられたり、馬印おさすに腰のつり合是にて能となり、民部驚きて、十里近きに敵もなくて、いかなる事ぞといへば、清正、ものは大事と心得たるぞよき、由断大敵といふ事有、我物具せず、身お安じたくはおもへども、左あらんには皆解るべし、夫故に身は苦しけれども、解なき為にかくはせし也、万一の事あらん時、解て事お仕誤るならば、今までの武功、虚名にならむ事お慮ればなり、