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藩翰譜
五/板倉
初め勝重〈○板倉〉お召されて、此職〈○駿府町奉行〉の事仰下されし処、其任に堪ざる由お、固く辞し申けれども、更に御許しなし、勝重、さらば宿所に罷り帰り、妻にて候ものと計りてこそ御返事おば申べけれと申す、徳川殿笑はせ玉ひて、さもありなん、罷り帰りて相謀れと仰せ下さる、妻は勝重が帰るおむかへて、悦ぶべき事ありと、告知らす人あり、如何なる幸や候と雲ひけるに、勝重物おも雲はず、ほくそえみて、衣裳ぬぎすて座になおり妻に打向ひ、されば今日召されし事、余の義にあらず、此度御座所お移さるゝに依て、彼の町の奉行たるべきよしお仰せ下さる、いかにも協ふべからざる旨お辞し申せども、御許なし、さらば我家にかへり、妻に謀り候はんと申して、罷帰りぬ、さて御事は如何にや思ふといふ、妻は大に驚きて、あな浅まし、わたくしごとなどならば、夫婦はかるといふ事もこそあれ、公にてかゝる事やのたまふべき、まして是は仰せ下さるゝ所なり、殊に其職に堪へ堪へじは、御心にこそあるべけれ、みづから如何で知り候べきといへば、勝重いや〳〵、我この職に堪へ堪へじは、我心一つのみにあらず、御身の心による事にて侍るぞ、先づ心お沈めてよく聞き玉へ、古より今に至り、異国にも本朝にも、奉行頭人などゝ雲るゝ者の、其身お失ひ、其家お亡さぬは希なり、或は内縁に就て訴お断る事おほやけならず、或は賄賂に因て理お判つ事わたくし多し、これらの災は婦人より起る所あり、我れ若し此職奉らん後は親しき人の雲ひよらん事なりとも、訴訟の事執り玉ふまじきか、僅の贈もの参らせて候事ありとも、苞苴のもの受たまふまじきか、これらの事お初として、おことは勝重が身の上、如何なる不思議の事ありとも、さし出て、ものみたまふまじきよし、固く誓ひ給はざらんには、勝重此職に任ずる事は、如何にも協ふべからず、さればこそ、御身と謀るべしとは申たれと雲ふ、妻つく〴〵とうち聞て、誠にのたまふ所ことわりにこそ侍れ、みづからは如何なる、誓ひおもたてなん、とく参りて畏まらせ玉へといふ、勝重大に悦びて、神にかけ、仏にかけて、かたき誓ひたてさせて、此上は思ひ置く事なし、さらば参らんとて、衣裳ひきつくろうて出づ、袴の後腰おもぢりて著たり、妻うしろざまに見て、はかまのうしろあしく候というて、立寄てなほさんとす、勝重聞きもあへず、さればこそ、我が妻に謀らんと申せしは、誤たざりけれ、勝重が身の上の事、如何なる不思議ありとも、さし出て物いはじと誓ひしは、今の程ぞかし、早くも忘れ給へりな、この定ならんには、勝重職うけ給る事協ふべからずとて、また衣裳ぬぎ捨てんとす、妻大に驚き悔て、さま〴〵の怠状まいらす、さらばその言葉いつまでも忘れたまふなといひて、御前に参る、徳川殿、如何に女が妻は、何とか雲ひしと仰せければ、妻にて候ものが、慎しみて承れと申侍ると申す、さこそはあらめとて、大に笑はせ玉ひしとなり、
○按ずるに、此事上文載する所の多賀高忠の事と相似たり、蓋し其一或は誤伝に出づるか、或は先輩の行為お学びしか、附して後考に備ふ、