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常山紀談
附錄/雨夜灯
権現様駿府に御隠居遊され、大御所様と申奉る、台徳院様〈○徳川秀忠〉江戸より駿府へ御出なされ、二の九に二け月余御滞留なされ候節、権現様、阿茶の局お召て、将軍には年若き人なり、旅住居二け月になりぬ、夜中徒然なるべし、花お使にして菓子おもたせ、裏道より忍びやかにやれ、もし慰にも成ぬべきなり、我去たると聞れなば隔心あるべし、女が心得に能はからへと仰せられければ、阿茶の局、御心の付たる上意なりと御請して、花其比十八歳、女中第一の美人なりしお、殊に取繕はせ、下女に菓子おもたせ、初夜の比、裏道より密に参らせけり、内々阿茶の局よりかくと申ければ、台徳院様、御上下おめし待せ給ふ処に、花参りて御庭の戸おおとづれければ、台徳院様御自身戸お明られ、花お上座に直し、菓子お御取、是は大御所様より下されたるなるべしとて、御いたゞきなされ、花早々帰られ候へと仰られ、先に御立なされ、戸口まで御送りなされければ、花兼てたくみしと違ひて、いらへの詞もなく帰りて、かやう〳〵なりと申ければ、権現様聞し召、将軍は律義第一の人なり、我はしごおかけても及がたしとぞ上意ありける、