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常山紀談
二十
周防守重宗〈○板倉〉京都の職に有こと、凡三十余年、人敬ふ事神明の如く、愛する事父母に似たり、〈○中略〉重宗職に任じて後、毎日決断所に出る時、西面の廊下にして、遥に伏拝む事有て、決断所に出、此所に茶磨一つすえ置、あかり障子引たてゝ、其内に坐し、手づから茶ひきて訟お聞、人皆不審しあへりけるに、遥に年経て後、問人有しに、重宗答へ、先決断所に出る時、西面の廊下にて、遥に拝する事は、愛宕山の神お拝する也、多くの神の中、殊に愛宕は霊験新なると聞し程に、所願ありてかくは拝しぬ、其所願は今日重宗が訴おことわらんに、心の及ぶほど、私の事あらじ、若あやまりて私の事あらば、忽ち命おめされ候へ、年頃深く頼み奉るうへは、少も私心有んには、世にながらへさせ給ふなと、毎日祈誓するにて候、又訴おわかつ事の明かならぬは、我心の事にふれて、動くが故なりと思ひなしぬ、よき人は自ら動かざらんやうにこそあらめど、重宗それまでの事は及び難く、唯心の動と静なるとお試るには、茶お挽てしる、心定りて静なる時は、手もそれに応じて、磨のめぐる事平かにして、きしられておつる所の茶、いかにも細やかなり、茶のこまやかに落る時にいたりて、我心も動かぬと知り、其後やうやく訴おわかつ、又明障子おへだてゝ訴お聞事は、凡人の顔かたちに、打見るよりにくさげなると、あはれましきとあり、誠しき有、かだましきあり、其品多くして、いくらと雲数おしらず、見る所の誠しきと思ふ人の、いふ事は真実ときかれ、かだましきと見ゆる人の、なす事は何事もみな偽と見ゆ、あはれましき人の訟は、在られたる所有かと思はれ、にくさげなる人の争ひは、ひが事ならんと覚ゆ、是等の類は目に見る所に、心のうつされて、彼詞お出さぬうちに、はやわが心の中に、邪ならん、正しからん、よからん、直ならんと、おもひ定むる程に、訴の詞に及びては、我おもう方に聞なす事多し、訴のなるに至ては、あはれましきに憎むべきあり、にくさげなるに憐なるあり、誠しきに詐有、此たぐひ殊に多し、人の心の測りがたき、かたちお以て定ん事協ふべからず、古の訴訟お聞には、色お以てすといへども、それは重宗が及ぶべきにあらず、又さらぬだに、訴の庭に出んは、おそろしかるべきに、まして生殺お司れる人お見ては、いぶせくて自いふべき事おも得いはで、罪にも科にもあふ人あらんと思へば、所詮互に面お見も見られもせぬに、しかじとおもひて、かくは座おへだつるにてこそあれと、答へられしとぞ、