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五常訓


知は増韻心有所知也といへり、知は心の明なり、和訓にはさとるとよむ、是非おてらす心の光なり、心明らかにして、人倫事物の道理に通じ、是非善惡おわきまへしりて、まよはざる徳なり、仁義礼も智によりて、其の理明らかにして行はる、智なければ道理くらくして、善心あれども、行ふすべおしらず、あやまりてひがことのみ多し、周子は通ずるお知と雲ふといへり、万理に通ずるなり、朱子は智は分別是非の理と雲へり、分別とは、わかちわかつなり、心中に善惡おわかちわきまふるお雲ふ、是非とは事にのぞみては、是お是とし、非お非とするお雲ふ、智は性なれば、あながちに外にむかひて、とくべからずといへども、用につきてとかざれば智の体も明らかならず、孟子は智之実、知斯二者弗去是也と説き給ふ、智の真切なる所は、孝弟の道お知りて、すてずしてかたく守るお雲ふ、道理おしりて、又よく其の道理お守りて失はざるなり、しりても守らざれば真にしれるにあらず、智は五行においては水に属す、水は清く明らかにして、かゞみとすべし、智のあきらかなるに似たり、又万物は皆水のうるほひ通じて生ずるごとく、万事智にあらざれば、道理通せずして行はれず、朱子四書の註の中、仁義礼には明解あり、智の字に註なし、故に朱子の後、智の字おとく者多しといへども、其の説分明ならず、大学或問曰、知則心之神明、妙衆理而宰万物者也、心の神明とは、人の心虚霊にして不昧お雲ふ、妙衆理とは、もろ〳〵の理お発明してしるお雲ふ、宰万物とは、万物おつかさどりて、善惡お裁判するお雲ふ、是致知の知おときて、四徳の智お説き給へるにはあらずといへども、知の体用およくとけること分明なり、此の外に智の註お求むべからず、愚ひそかに朱子の両説に本づきて、知お説きて曰、智者、心之明、事之別也、心の明とは、くらからざるお雲ふ、灯火明らかにして、物おてらすが如し、是智の体なり、事の別とは、事にのぞみて、是非おわかつお雲ふ、是智の用なり、其の事にのぞみて、是非おわかつは何ぞや、内に明あるお以てなり、此の説いまだ当否おしらず、しばらくこゝにしるして、識者の是正おまつのみ、