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源平盛衰記
十九
文覚頼朝対面附白首附曹公尋父骸事
文覚懐より白き布袋の少し旧たるに裹たる物お取出して、やヽ佐殿〈○源頼朝〉是ぞ故下野殿〈○源義朝〉の御首よ、法師、獄定せられたりし時、世に立廻らば奉らんとて盗たりき、赦免の後は是彼に隠したりしお、伊豆国へ被流べきと聞きしかば、定て見参し奉らんずらん、さては進せんとて、頸に懸て下たりき、日比は次で惡く侍つれば庵室に置奉て候き、国こそ多、所こそ、広きに、当国〈○伊豆〉へしも被流けるは、然べき佐殿の父の骸に見参し給ふべき事にやと、哀にこそ候へ、其進せん とて、はらはらと泣けり、兵衛佐殿是お見給て、一定とは不知ども、、父の首と聞より、いつしかなつかしく思ひつヽ、泣々是お請取て、袋の中より取出して見給へば、白曝たる頭也、膝の上にかき居奉ぬ、良久ぞ泣給ふ、此下野守には、子息あまた御座せし中に、兵衛佐お鬼、武者とて、十ばかりまでも膝の上に居て憂し給し志の報にや、今は其骸お請取て、ひざの、上に置奉て尼しく覚え、其後ぞ深く合体し絵ける、〈○中略〉
義朝首出獄事
抑昔武蔵権守平鬼門已下の朝敵の頭共は両獄門に納、らる、文覚争でか義朝の首おば可盗取、是は兵衛佐に謀叛お勧んが為に、奈古屋が沖に曝たる頭のありけるお以て、仮初に偽申たりける也、〈○下略〉