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太平記
三十七
新将軍京落事佐渡判官入道道誉都お落ける時、我宿所へは定て、さもとある大将お入替んずらんとて、尋常に取したヽめて、六間の会所には、大紋の畳お敷双べ、本尊、脇絵、花瓶、香炉、鑵子、盆に至まで、一様に皆置調へて、書院には義之が草書の偈、韓愈が文集、眠蔵には沈の枕に、、鈍子の宿直物お取副て置く、十二間の遠侍には、鳥、兎、雉、白鳥、三竿に懸双べ、三石入計なる大筒に酒お湛へ、遁世者二人留置て、誰にても此宿所へ来らん人に、一献お進めよど、巨細お申置にけり、楠一番に打入たりけるに、遁世者二人出向て、定て此弊屋へ御入ぞ候はんずらん、一献お進め申せと、道誉禅門申置れて候と色代してぞ出迎ける、道誉は相模守の当敵なれば、此宿所おば定て毀焼べしと憤られけれども、楠此情お感じて、其儀お止しかば、泉水の木一本おも不損、客殿の畳の一帖おも不失、剰遠侍の酒肴以前のよりも結構し、眠蔵には秘蔵の鎧に白幅輪の太刀一振置て、郎等一人止置て、道誉に挍替して、又都おぞ落たりける、道誉が今度の振舞なさけ深く、風情有と感ぜぬ人も無りけり、例の古博奕に出しぬかれて、幾程なくて楠太刀と鎧お取られたりと、笑ふ族も多かりけり、