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藩翰譜
二/長沢
此人〈○松平信綱〉の才敏なりし事ども、世に伝ふる事いくらといふ数お知らず、されども其事共天下の大勢に預からぬ事なれば、誠に数ふるにたらず、初め左大臣家〈○徳川家光〉かくれさせ玉ひ、将軍家〈○徳川家綱〉いまだ御幼稚の時に、故将軍家の御時は、国おも郡おも玉ひ、禄おも俸おも当て行なはれし事、年々月々に絶えず、当代に至て終に其事なし、かくては如何で奉公の労おもなぐさめ、主に仕ふる忠おも勧めんやと、諫むる人も謗る人もありけり、信綱是お聞て、君いまだ幼なく渡らせ玉ふ、今に当て功労ある人に恩賞行はるゝ事あらんに、たとへ恩賞お蒙る人悦ぶ事ありとも、又謗る人は、君はいまだ幼稚にてまします、是皆執政等がひいきに付て、おのれ〳〵がかたざまの人々おのみ執し申すなりなど雲はんには、善お勧め徳お施すにはあらず、恨お加ふにこそあれとて、将軍家、政おみづからし給はざりし程、信綱が世に在りしうち、終に其事なかりしかども、人ごとに敢へて怠たりたゆむ心なく夙夜しけり、是一、天下の大名の、代々たてまつりし人質お、此時に至りて尽くに帰さる、是二、近世の慣はしなりし殉死の事堅く禁せらる、是三、中にも明暦の火災には、城廓尽く灰燼となり、人民悉く焦煉す、かゝる事は古より聞も伝へず、又後の世にも有べからず、まして去年の逆徒〈由井正雪〉等が火お放ちて、兵お起さんと謀りし事もあり、是はいかさま隻事にはあらじと、上中下の心も静かならず、其時信綱の立所に執り行ひし事、殊に皆其所お得て、程なく天下また静かに治りて、昔にかはらぬ世となる、かゝる事どもは、みな古の名臣賢佐にも恥ぢぬ善政にてありけり、それも執政の人々の、衆議一決してこそかくはありけめども、謗る事誉むる事おも、信綱壱人の計りしやうに、世にいひしことは、是れ併しながら名誉のいたす所なり、