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明良洪範

完文の頃、車力重右衛門と雲世に聞へし者、先御代より器量勝れしゆへ、其ころ川村瑞軒と号しけるが、〈○中略〉車力は少しも屈せずして、見よ〳〵稲葉殿お笑はや見すべしと広言はきけるお、其後箱根の奥に、けや木多く見ゆるに付て、此大木共切取良材となしなば、守護の徳有のみにあらず、所のうるほひ成べしと申ける、家士等是お聞て、あざ笑ひて、車力が何お申とも、箱根は深山にして出すべき道なし、運送自由ならず、是お以て先代より拾置もの也と申せし所に、川村聞て、少しも苦しからず、切て出す事は、某にまかされよ、御損はなき事とて、まづ運上以下お奉るべしとて、其秋より段々杣お入て伐せけるに、皆々不審し、いかヾして山出しするぞと見る所に、十月半より又人足お入て、峯に降つもりて雪共お、其辺の深き谷へ、毎日かヽせて落し入ける程に、谷も尾もみな白妙に成て、谷は雪水氷のひヾきも果ける、臘月に及び、玄冬素雪の究年多くの人夫お出し、彼切集めたる大木共おば、谷底へころばし入るに、雲氷たるなだれへおろす故に、かおも入ずして、悉く落し入て後、深谷のそこは氷る上に、大木かさなり、其上に又峯の雲お有だけかき落したれば、谷も峯もひとしく成たる時に、谷口に堤おきづきて、水おもらさずたヽへたり、扠来春に成、温暖の時に至りて、ゆき氷ともに解流るヽ最中に成、急に此堤お切ておとしける程に、滝のみなぎるより猶劣しく、隻一度にたヽへ、水巨木お流し出しけり、