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翁草

増上寺釣鐘之事
瑞軒が機変の事、十が一お学げて雲はゞ、其頃増上寺の鐘楼出来立て、鐘お掛しに、暫くは掛りてゆれ、揺くに随ひ、其釣延てたもつ事不克、落けるゆへ、随分入念元の如く釣上る様の御下知有しに、大勢人夫掛り、足代等大そうの事故、何れも六か鋪申に仍り、入札被仰付処に、各高札也、瑞軒札は、外々の半分に及ぬ安札故に、則被仰付、斯て瑞軒は僅人夫二三十人計引連来り、先近辺の米屋共へ申遣しけるは、米お沢山に調申べし、直段お究めて、増上寺鐘楼の前へ持運ぶべしと触ける故、我も〳〵と持来るお、鐘のあたりへ並べさせ、其上江鐘お上げ、又其俵の並べ、二俵お並させ、其上江鐘お乗せ、又其上へ其通に俵お並、如此段々俵の上江鐘お乗せ、程よく成りて、竜頭お釣り上、扠米屋共へ先刻調へたる米お、一升増に払ひ可申間、取に来るべしと令させければ、我も〳〵と来て、米お取て帰ける、斯く無造作なる足代お以、二時三時の間に本の如くに釣上しとぞ、又或る時同寺本堂の棟瓦破れ落たるお、入札に被抑付る処に、瓦は僅ながら足代人夫等に多く費るに仍、入札直段過分に高直也、瑞軒が札は外より三分一にも不及安札なれば、是へ被仰付、如何成仕形にやと、人々思ひしに、折節春の頃にて、東風の吹お考、大成鳳巾(いか)お造り、本堂の棟お越る程にのぼせて、能時分狂はせ落しければ、鳳巾は本堂に跨る、其時件の鳳巾お捕まへて是お引く、其糸尽たる時に、少し太き糸お継て繰引にさせ、段々に前よりふとき糸お継、後には釣瓶縄程にして、夫より大綱お二筋にて是お引せ、此大綱、堂の棟お跨る時、前後四方に聢と杌お打、能程にかうばいお附け、綱お引堅め、是お親階子にして、階子の子お幾つも拵、是に結付、段々に上りながらに、是お拵行、暫時に丈夫成る綱階子出来たり、如此して僅の人夫に克お持せ登せて、速に破琵お取替たると也、其外駿州久能山の鳥居、京師東山八坂塔の事抔、数々人口に在と雖、畢竟其頓意発明において、其理一なるに仍て援に省く、〈○下略〉