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蜘蛛の糸巻
凶荒年表 永代橋崩る
文化四年丁卯八月廿九日、深川八幡祭礼の日、朝四つ時比、貴重の御船、〈○徳川氏御召艦〉永代橋の下お通るとて、空船なれども、橋番人縄お橋のきはに引き張りて、人お留めける、〈○中略〉半時めまりまちくたびれたる時、それ通れとて、縄お引くお見て、数百人の駈け通る足の力、体の重み、数万斤の物おまろばすが如ぐなりし故、細き長橋いかでかたまるべき、橋の真中より深川の方へ十間計りの所お、三間あまり踏み崩しければ、いかでか落ちざらん、跡の者はかくとはしらず、おしゆくゆえ、おされて跡へすさる事ならず、横へひらく道なき橋の上なれば、夢のやうに入水したるも多かるべし、此時一人の武士刀お抜きて、高くひらめかしければ、是お見て跡へ逃げ帰りて、道お開きたり、〈○註略〉此一刀にて多くの人お助けしとそ、此事世上にてほめけるが、其名おいふ人なかりしお、今年まで四十年、其人おしらざりしに、今年の晩春、幽篁菴の席上、話此事におよび、おのれが見たる所お語りしに、御主人〈久松助殿五十三〉曰、一刀おふりしは、南町奉行組同心渡辺小右衛門と雲ひし半老の人なりと聞きて、其時にあひて、四十年しらざりしお発明して、耳お新にせり、此人なくんば、なほいく人か溺死せん、無量の善根といふべし、