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十訓抄

小野右大臣〈○藤原実資〉とて、世には賢人右府(○○○○)と申、若くより思はれけるは、身に勝たる才能なければ、何事に付ても、其徳顕れがたし、試に賢人お立て、名お得る事おこひねがひて、一筋に廉潔の振舞おぞし給けみ、かゝれども人更に不許、かへ、りて嘲る類も有程にあたらしく家お造て移徙せられ、ける夜、火鉢なる、火のみすのへりに走りかゝりけるが、やがても消ざりけるお、しばし見給けるほどに、やう〳〵と、ゆづり付て次第にもえあがるお、人あざみてよりけるお制てけさゞりけり、火大になりける時、笛計お取て、車よせよとて出給にけり、聊物おも取ける事なし、是より自賢者の名顕て、帝より始奉り、て、事外に感じてもてなされけり、かゝるに付ては、げにも家一やけん事、彼殿の身には、数にもあらざりけんかし、或人、後に其故お尋奉りければ、わづかなる走り火の、おもはざるにもえあがる、たゞごとにあらず、天の授る災也、人力にて是おきほはゞ、是より大なる身の大事出くべし、何によりてか強に家一お惜むにたらんとぞいはれける、其後事にふれて、かやうの振舞絶ざりければ、遂仁賢人といはれでやみにけり、のちざまには鬼神の所変なども見顕されけるとかや、好正直与不廻、而精誠通於神明と曹大家が東征賦に書る、今思合せられていみじ、かゝればとて賤しからんたぐひ、此まねおすべきにあらね共、程に付て賢の道ひとしからん事おおもへと也、此殿若くより賢人の一筋のみならず、思慮のことに深く、情人に勝れておはしけり、