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足薪翁記

愚な溶者の異名
〈上〉二番(○○)〈又二のきれといふ同じ〉 紀三井寺(○○○○) 南華(○○)
是等みな愚なるものゝ事おいへるなり、智ある者お一にたとへ、愚なるものお二番といひ、紀三井寺は順礼の札所の二番なるにより、又其名おおふせしなり、南華の事は、色道大鑑、〈延宝六年箕山著〉南華、戯れたる者おいふ、むかしは鈍なる者の異名にはいはず、常とかはりたる人おいへり、其意は、南華は荘子が寓言の、儒にかはりたるによりて、いひたる名ならんお、今は誤りて鈍なる方にこれおよすとあり、浮世物語、〈万治年間印本〉諸国に傾城町おたていん女多くこめおきて、心だての二番なるきみい寺のともがら、中頃は南華とやら名づけし、いかなる故ならん、荘子は寓言とて、なき事おあるやうに書きたる道人也けるお、南華の篇といふ、さだめてうそつきといふ心にや、たゞうつけたるお、今は南花と名づくるなり、〈○中略〉、朱雀遠目鏡〈延寳九年印本〉下の巻上〈○中略〉に、大阪屋太郎兵衛内野瀬といふ格子女郎お評する詞に、面体も姿も大方なり、是も御心二のきれ、廿八匁には高直なり、
〈下〉たくらだ(○○○○) 是も愚なるものおいふ、文字も意も未考、醒睡笑、大本二の巻に、少したくらだのありしが雲々と記して、愚なる者の話あり、此冊子元和九年の作なれば、いと古き流言なり、子孫鑑完丈十二年印本に、一人の文珠より十人のたくらだ、といふ事あり、文珠の如き智おもちたる一人より、愚なるものゝ十人の工風がよ、きといへるなれば、意はよく聞えたり、〈○下略〉