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栄花物語
一/月宴
かゝるほどにかのむらかみの先帝の御おとこ八宮、〈○永平親王〉宣耀殿の女御の御はらのみこにおはします、いとうつくしくおはせど、あやしう御心ばへそ心えぬさまに、おひいで給める、御おぢの済時のきみ、いまは宰相にておはするぞ、よろづにあつかひ聞えたまひて、〈○中略〉この八宮十二ばかりにぞなり給にける、〈○中略〉かゝる程に冷泉院のきさいのみや〈○冷泉后昌子内親王〉みこもおはしまさず、つれ〴〵なるお、この八宮こにしたてまつりて、かよはし奉らんとなん、のたまはするといふことお、宰相つたへきゝ給て、〈○中略〉よき日してまいりそめさせ給へり、〈○中略〉そののちとき〴〵まいり給ふに、なおもののたまはず、あやしうおぼしめす程に、きさいの宮なやましうせさせ給ければ、宰相宮の御とふらひにいだしたてまつらせ給、まいりてはいかゞいふべきとのたまはすれば、御なやみのよしうけたまはりてなむとこそは申給はめなど、おしへられてまいり給へれば、れいのよびいれたてまつり給に、ありつることおいとよくの給はすれば、みやなやましにおぼせど、うつくしうおぼしめして、さはのどかに又おはせよなどきこえさせたまふ、まかで給て、宰相にありつる事いとよくいひつとの給へば、いであなしれがましや、いと心づきなうおぼして、いかでいひつとは申給ぞ、それはかたじけなき人おときこえ給へば、おいおいさなり〳〵との給ふ程、いたはりところなう、心うくみえさせ給ふお、わびしうおぼす程に、天禄三年になりぬ、ついたちには、かの宮御さうぞくめでたくしたてゝ、みやへま〈○ま原脱拠一本補〉いらせたてまつり給、聞え給へたてまつり給はずなりにけり、宮には八宮参らせたまひて、御まへにてはいしたてまつり給へば、いと〳〵あはれにうつくしとみたてまつらせたまふ、心ことに御しとねなどまいり、さるべき女房たちなど、花やかにさうぞきつゝ、いでいていらせ給へと申せば、うちふるまひいらせ給ほど、いとうつくしければ、あなうつくしやなど、めできこゆる程に、しとねにいとうるはしくいさせ給て、〈○中略〉うちこはづくりて申いで給事ぞかし、いとあやし、御なやみのよしうけ給はりてなん参りつる事と申給ものか、こぞの御なやみのおりにまいりたまへりしに、宰相のおしへきこえ給しことお、正月のついたちのはいらいにまいりて申給なりけり、宮の御前あきれてものもの給はせぬに、女房達なにとなくさもわらふ、よがたりにもしつべきみやの御ことばかなと、さゝめき、しのびもあへずわらひのゝしれば、いとはしたなく、かほあかみてい給ひて、いなやおぢの宰相の、こぞの御こゝちのおりまいりしかば、かう申せといひしことおけふはいへば、などこれがおかしからん物わらひいたうしける女房たちおほかりけるみやかな、やくなしまいらじとうちむつかりてまかで給ふありさま、あさましうおかしうなむ、小一条におはして、あさましき事こそありつれとがたりたまへば、宰相なに事にかと聞え給へば、いまはみやにすべてまいらじ、たゞころしにころされよとのたまはすれば、いなやいかにはべりつることそと、きこえたまへば、御なやみのよしうけたまはりてなんまいりつると申つれば、女房の十廿人といでいてほゝとわらふぞや、いとこそはらたゝしかりつれ、さればいそぎ出てきぬとの給へば、とのいとあさましういみじとおぼして、すべて物もの給はず、いなやともかくもの給はぬは、まろがあしういひたる事か、こぞまいりしに、さ申せとのたまひしかば、それおわすれず申たるは、いづくのあしきぞとのたまふお、いみじとおぼしいりためり、