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明良洪範
十八
会津神公〈左中将保科正元〉は、台徳院様〈○徳川秀忠〉第九男にてぞまし〳〵ける、殊の外豪気の人におはしまし、又御近習の儒臣に、小櫃与五右衛門と雲者有けり、或時中将殿与五右衛門に其方が身に、何ぞ楽みは有やと尋られしに、与五右衛門承り、大ひに楽みに存候事、二つ御座候、是お冥加と有難く存じ奉り居候と、御答申しければ、其は何事ぞや聞度と申されける、私事は第一貧しくて御座候故、奢りと申す事終に存じ申さず候、若富家に生れ候はヾ、奢りにひかれて、礼義の道お存じ申す間敷候処、天然の貧乏お冥加と存じ楽み申候由申しけり、今一つはと尋ね給ふに、たやすくは申し上がたく候、重ねて申し上べしと申けり、十日計りありて、〈○中略〉再応尋ね問はれしかば、与五右衛門つヽしむで然らば申上べし、そは大名に生れざる、是大ひなの冥加と、常々天道に対し、有がたく存じ奉るよし申しければ、中将殿其子細はいかなる事ぞと問ひ玉ひき、されば其事にて候、大名はあほうにて、生得かしこき御方にても、家来よりして皆あほうに取なし候、〈○下略〉