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続古事談
五/諸道
大外記頼隆真人は、近澄が子なり、広澄善澄がおい也、諸道お極めたる才人也、明経、紀伝、算、陰陽、暦道等文までまなびたりけり、常に雲ける、医道明法いまだくちいれずとぞ雲ける、一条院御時、斉信民部卿につきて、明経准得業生おのぞみ申けるに、斉信卿本道にゆるすやいなや知むために、善澄お召て、明経道に大成おあらはすべき物、たれかあるととはれければ、善澄申ける、貞清と申ものこそ、師説おつたへて、ふかく経典に通達せる物なれ、末代のやむごとなき物也と、斉信本意たがひて、かさねてとはる、頼隆と雲物はいかに、善澄けしきかはりて、わきおかきて申ける、頼隆は非常の物なり、たヾ明経一道のみならず、百家九流おくヾれる者なり、この時、斉信卿直問して雲く、頼隆もし将来に国器にあらずば、斉信不実の物お吹嘘するせめおかうぶるべしと申されけり、ついに宣旨くだりにけり、わかくて明経おすてヽ、紀伝にいらむとて、式部大輔匡衡朝臣のがり行たりければ、匡衡雲ける、女は一道の長者すべき相あり、もし他道にいらば、かならずしも長者にいたるべからず、たヾ本道にあるべしとおしへけり、