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厳有院殿御実紀附錄

明暦二年十二月、御灸おなされし時、老臣等お御前にめし、種々の饗賜はり、いづれもさるべき物語して、御聴に備へよとありしに、たれも頭かたげて有し時に仰らるゝは、神祖の御代このかた、諸家に用ひし所の旗馬印さま〳〵なりと聞しめしぬ、其品いかゞなりや、豊後には常に好で旧記およむよしなれば、定ておぼ、えつらん、わづかなりとも聞え上よとのたまへば、豊後守かしこまりて、多くも心得侍らねども、思ひ出し分お聞え上むとて、つぎ〳〵に誰はかく、某はいかになど聞え上しに、遂に数十家に及びければ、公〈○徳川家綱〉おはじめ奉り、近臣等みなその強記に感じける、伝役安藤備後守資俊、硯もちいでゝ、一々に書記しける、物語はつる頃、御灸事も終らせられしと也、