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温故堂確先生伝
十八と雲ふ年〈宝暦十三年癸未〉に、一座の衆分となり、名お保木野一といふ、〈○註略〉もとより記億すぐれしかば、やうやく其名お知る者あるにいたる、はじめ大人雨富が室に入し時、其教に任せ、三弦おならひけるに、今日習ひ得し物は、一夜の程に忘れて、明日は知らずなりけり、すべて三年の間に、一曲も全くは覚へざるのみか、調子さへ合ざりければ、雨富せんすべなくて、針治の術お旨に習はせけるに、医書よむ方は人にすぐれて、二度よますれば、其次の度には、一文字もたがへずよむ程なりけれど、術にかゝれば、人よりもはるかに劣れり、こは文よむかたにひかるればなるべし、