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浚明院殿御実紀附錄

同じ御物学びの中にも、御読書は、有徳院殿〈○徳川吉宗〉わけて沙汰せさせ玉ひける、国家お治め、万民の父母となり玉ふ御身にしては、聖人経国の要道、和漢治乱の事実にくらくてはなりがたしとて、日々のごとく儒臣おめして、経書はさらなり、和漢の典籍お進講せしめられしが、成島道筑信遍同朋輅は、はじめより御側おはなれず、伺候せしめられ、聖賢の嘉言善行よりして、和漢古今の治乱興廃お、話のごとく申奉り、御伽の様に侍らせらる、そのうへ、凡幼稚の者お教育せんには、つねに近侍に候ふものおよくおしへ、自然に薫染せむ様こそあらまほしけれとて、御伽の稚子等、みな道筑の弟子となされ、いとまの日ごとに、道筑その宅にまはりて、教育することゝなりぬ、水野出羽守忠友、〈後宿老〉稲葉越前守正明、横田筑後守準松〈後御側〉など、みな此ときの御伽衆なり、されば、公〈○徳川家治〉にも、有徳院殿の御深慮およくうけ得させ玉ひ、何ごとも御教導にしたがひたまひ、かりそめのことにも、御詞にたがひ玉はんことお恐れたまひ、わけて学問に御心お用ひさせられ、御年たけさせ玉ひても、前後漢書三国志などのことは、くはしく諳記したまひ、時々近習の人々に御物語ありしといへり、